おばあちゃんの麦ご飯
幼少のころ…おばあちゃんちで、かまどで炊いた「麦ご飯」をよく食べた。
…おばあちゃんちではいつも「麦ご飯」だった。
かまどで炊いたそのご飯はそれは美味しくて…
家のご飯(ガス釜)よりはるか美味しいと感じていた。
『おばあちゃんとこのご飯は美味しい!』…といつも父母に言っていた。
まだ保温ジャーや電子レンジがでる前、冷や飯が当たり前だった時代…冷めても美味しいご飯。
おばあちゃんちはビンボーで毎日?闇米屋でお米を買っていたのも覚えている。
ただそのご飯が「麦ご飯」…一本筋の入ったプチュと大きなものが「麦」と知ったのは、おばあちゃんが亡くなったずっと後のこと。(小学5年の時)
裸電球…ラジオ…五右衛門風呂…井戸…春のお茶葉を蒸す湯気…夏の蚊帳…七輪…秋の柿採り…冬の掘りコタツ…イチジク…しいたけ…にわとり…猫…
おばあちゃんと美濃加茂・米田の小山神社のお祭りに行った…
家から8キロくらい歩いた覚えがある…帰りはおぶってくれた。
犬山のモンキーセンター(昔はそういった)へも行ったなァ…今は無き名鉄電車で…モノレールに乗って…弁当持って…それが最後だったかも…。
『麦』
江戸時代に江戸や大坂では精白された白米が普及し、ビタミン不足から脚気が大流行したのは有名な話。
白米の食味の良さを喜んだ民衆の偏食とともに、大都市の燃料問題も理由として挙げられる。薪が周辺の山野で簡単に手に入る農村や山村と異なり、都市では薪も金を出して買わなくてはならない。
庶民が燃料費を節約するために、煮えにくい玄米や丸麦を避け、主食を白米のみに依存した結果、脚気の流行を招いたともいえる。
日本の刑務所では、近代の懲役刑の導入とともに麦飯が導入されており、米:麦=7:3の比率のものが主食とされている。
かつては、精麦が不十分だったため炊きあがった麦飯は独特の臭いを持っていたことから、刑務所に収監されることを「臭い飯を食う」と言う表現ができたという説がある。
(ただしこれは「臭い房内の中で食べるため、飯まで臭く感じる」という意味であって、麦飯そのものは臭くはなかったとする体験談も多く聞かれる)
日本の軍隊では、白米のみの飯を兵食の主食とした陸軍が日露戦争で多数の脚気による戦病死者を出したのに対し、麦飯を採用した海軍では脚気の発生を阻止した(ただし、麦飯の食味を嫌って麦を捨ててしまう烹炊兵が多かったらしく、海軍でもその後脚気禍が何度も発生している)ことが知られる。
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